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2006.09.25

国歌国旗の強要について

今日は普通に出勤できましたが、午後から体調が悪くなったので半日年休で帰宅し、いままで眠っていました。
まだ先々週からの不調は終わっていないようですが、出勤はできているので無理をしないようにがんばってます。

いくつかのブログで、国旗国歌の強要についての判決についての記事を見ました。判決は「懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である」と認定し、「国旗、国歌は国民に強制するのでなく、自然のうちに定着させるというのが国旗国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の理念」と判断したそうです。

私は普通であれば、日本人に日本の国歌国旗を仰がせることは問題は無いのだと考えます。
しかし、天皇主権の戦前に国旗国歌を強要させられたことと、戦争の悲惨な思い出が切り離せないと感じる人がまだいること。国歌の歌詞が天皇が今後も栄えることを歌った歌詞であることが、やはり過去の戦争で「天皇陛下万歳」と玉砕した人を思い出させることが、特に国内唯一地上戦場となった沖縄地方に人をはじめ、戦争のことを語り継がれたり勉強した人にも、強要されることに反発を抱かざるを得ない心境にするのでしょう。

国歌については長期的に見直しが必要だと思いますし、それまでの間は強制による懲戒は行き過ぎだとする今回の判決は、妥当なものだと考えます。

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コメント

出勤できたのは、とりあえずよかったですね。

投稿: KGoddess | 2006.09.26 00:24

基本的な問題の発端は「国旗国歌法」にあるものと思います。
「君が代」を国歌と定め、「日の丸」を国旗と定めているものです。
一般的に、国民が国旗を掲揚し、国歌を歌うのは悪いことではありません。また、教育されなければ、そのような状態にならないのは、もちろんのことです。
教育現場で、教育する必要がある、ということには異論はないのですが、「君が代」「日の丸」がもっているイメージ(国内的にも国際的にも)が悪すぎるため、問題が生じているものと思います。
思うに、なぜ「国旗国歌法」が憲法違反(信条の自由の侵害)として提訴されていないのかが、疑問です。この法律さえ無効化してしまえば、教育現場の問題が根底から消滅するはずですのに、不思議でたまりません。

投稿: くりにゃー | 2006.09.26 00:26

賛成!
戦後処理を日本人が自分たちの手で行わなかったのが良くないと思います。東京裁判によって日本人は歴史にたいして真摯に向き合うチャンスを奪われたと思います。なぜあれほどたくさんの日本人やアジアの人々が犠牲にならなければならなかったのか。ほんとうに天皇に責任はなかったのか・・・。そういう猛省を踏まえたうえでの戦後ではなく、戦後復興だけに力を注いできたことが、いまだにアジア蔑視がなくならない原因だと思うし、日本人にとって非常に不幸なことだと思います。子どものころから不思議だったんですが、どうして戦後に新しい憲法と一緒に国家国旗も新しいものを作らなかったんでしょう。

投稿: ぱきしる | 2006.09.26 00:53

初めまして。なめ猫♪さんのブログからやって来ました。

私の意見をここで述べると「荒らし」ともなりかねませんので、あなたがコメントしたブログに書かせて頂きました。
私なりに配慮したつもりですが、ご覧下さい。

http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-139.html

投稿: やや右より?のベル | 2006.09.27 12:58

コメントありがとうございます。

KGoddessさん こんにちは。
昨日は朝から帰りまで調子がよかったのですが、今日はまた調子が悪く休んでしまいました。
思うようにいかず辛いです。

くりにゃーさん こんにちは。
国旗国歌を仰ぐことを推奨する法律の存在自体は誤りでないのだと思います。ただ一部に日の丸君が代に辛さを持つことも間違っていません。
強要するところに問題点があるのですが、推奨と強要の差を問題にする場合、実際に処分を受けていなければ訴えられないところに辛さがあります。1件ごとに事情、背景が違うと、いろんな判決になりますよね。

ぱきしるさん こんにちは。
まだ戦後が終わってないことをみんなに理解してもらうことが難しくなってますよね。
戦争裁判などで、国民に非が無く、一部の軍国主義者が悪いという解決だったので、世代が変わるとともに自分たちは悪くないという気持ちになってきています。
被害を受けた国は日本のマインドコントロールされやすい国柄と、アジアでも異常なほどの多さの軍事兵器におびえを感じているのです。
今、憲法改正によって再軍備とナショナリズムの高揚が行われようとしています。戦争反対、軍事反対という単純なことが、難しい理屈でかえられようとしていることが恐ろしいです。

投稿: 根岸のねこ | 2006.09.27 23:26

コメントありがとうございます。

やや右より?のベルさん こんにちは。
ご配慮いただきありがとうございます。ああいう意見であればどんどん書いてください。宣伝や個人攻撃やばかにする表現等を含まないので問題ないです。

>特に沖縄やサイパンの地上戦で、国旗国歌に万歳を唱えさせられて、半強制的に自殺を強要された民間人のこと
なめ猫さんの9月19日にもエントリーされていますが、この件は当事者による証言で否定されています。ぜひご一読下さい。

読みました。確かにそういう証言があるのですから、全てが自殺の強要ではなかったのでしょう。
私も若いとき読んだ本で、民間人の犠牲を最小にしようと努力した参謀(大佐)のことを読んだことがあります。
しかしながら大多数の集団自殺者がいたことを否定できるほどの証拠というにはかなり弱いと思います。

>国歌の歌詞の意味が天皇を永久的にあがめて行きますという歌詞であること
君が代の歌詞は「天皇がいるこの国がいつまでも続きますように(平和でありますように)」という内容で、あがめるという歌詞はどこにもありませんよ。

天皇の長寿を祝う歌だと思ってました。Wikiではどちらの解釈も成り立つようであり、あがめるというより祝うの方が正しいようです。
結論としてベルさんの解釈が正しいです。
しかし、「天皇の統治する=天皇がいる」であり、戦争時代の天皇の統帥権(軍隊指揮権)と重ねれば、国民から見たときは天皇の戦争ということであり、批判を抱く人は多いと思います。

>国旗国歌の通達など、やや政府側がナショナリズムを高揚させる感じの政策を取っているようです
まずこの問題は政策とは関係ありません。そもそもこの問題は、日教組側が「国旗に対する起立、国歌斉唱の義務には法的根拠が無いから無効だ!」と騒ぎ、始業式・卒業式を妨害したので、国が法制定せざるを得なくなった経緯があります。

国が改めて法制化しなければならないことが、まだ国旗国歌に反対の国民感情があるということです。そのまま議論させるのではなく政府の意思を法律にすることがすなわち政策なのです。
卒業、入学式の妨げになるのであれば、割愛して別に議論の場を設けてもいいのではないでしょうか。無理に校長命令として実施するから、踏みにじり、校長の自殺がおこるのであり、問題を起こしているのは通達を出した政府です。

私はルール重視という考え方が広まる中で、人に迷惑をかけないことが大事であるということに不安を感じます。
ルールは大事ですが、人間としてもっと大事なものがあること、場合によってはルールを曲げたり、新しくルールを変えることも必要であるという気持ちが、これからも必要だと考えます。
ルールを重視して盲従するだけでは、戦前の戦争を実行してしまった日本国民と代わりがありません。

投稿: 根岸のねこ | 2006.09.28 01:00

>ああいう意見であればどんどん書いてください。宣伝や個人攻撃やばかにする表現等を含まないので問題ないです。
では、お言葉に甘えて、もう少しお付き合い下さい(笑)。

>確かにそういう証言があるのですから、全てが自殺の強要ではなかったのでしょう。
>しかしながら大多数の集団自殺者がいたことを否定できるほどの証拠というにはかなり弱いと思います。
ご指摘の通り、私も大多数の集団自殺者がいたことは否定しません。沖縄に限らず、終戦に伴って自決された方も全国に多くいらっしゃるのです。

私が問題にしている点は「半強制的に自殺を強要された」と事実誤認している人(正しくはそういう情報しか知らない人)が多いという事です。前回の「この件は当事者による証言で否定されています」という私の文章もココを指しています。

自決を選ぶ事の是非は、また議論の余地があると思います。しかし軍によって自殺を強要されたのか、自ら死を選んだのかでは、全く死の意味が違ってきます。

>しかし「天皇の統治する=天皇がいる」であり、戦争時代の天皇の統帥権(軍隊指揮権)と重ねれば、国民から見たときは天皇の戦争ということであり、批判を抱く人は多いと思います。
そもそも君が代は軍歌ではありません。「君が代=戦争(=悪)」と重ねる事自体、非常に短絡的ではないでしょうか。

なぜなら「天皇の統治する時代」は明治から始まったのではなく、江戸・室町・鎌倉時代以前から続いている家系なのです。
私には「天皇がいるこの国がいつまでも続きますように(平和でありますように)」という解釈は、「私達の国が異国の統治者に征服されませんように」とも受け取れると思いますので(平和でありますように)とカッコ書きで書き添えても良いと判断しました。歌詞には直接的に歌われていませんけれどね。

>私はルール重視という考え方が広まる中で、人に迷惑をかけないことが大事であるということに不安を感じます。
>ルールは大事ですが、人間としてもっと大事なものがあること、場合によってはルールを曲げたり新しくルールを変えることも必要であるという気持ちがこれからも必要だと考えます。
今の教育現場はルール重視どころか無法地帯ですよ(ちょっと言過ぎ?)

しつけのされていない児童による学級崩壊、教師を尊敬せず学校の対応にクレームをつける親、そして教職員の義務を怠り自由と権利を主張する教師達が、普通の生徒の学生生活を混乱させています。

場合によってはルールを曲げたり新しくルールを変えることも必要であるという主張には私も同意します。しかしルールは理由があって定められたのです。「ルールを守る=ルールを重視して盲従するだけ」とは、話が飛躍し過ぎていませんか?

私が最も問題だと思うのは、職業選択の自由がある教師が公務員という立場のままで、自分の権利を主張しながら自分の職場である学校の行事を混乱させ、何より生徒の大切な思い出となる始業式・卒業式を踏みにじっている点です。

あなたの言う通り、議論の場を設けて主張しルールを見直そうというならともかく、卒業式当日に先生が席を立たなかったり日の丸を引きずり降ろしたりするのは「やり過ぎだ」と思うのです。

少なくとも私は、始業式・卒業式でこういう活動を平然と行う教師がいる学校に、娘・息子を通わせたくありませんね。あなたはどうですか?

投稿: やや右より?のベル | 2006.09.28 11:57

コメントありがとうございます。
やや右より?のベルさん こんにちは。

>自決を選ぶ事の是非は、また議論の余地があると思います。しかし軍によって自殺を強要されたのか、自ら死を選んだのかでは、全く死の意味が違ってきます。

全てが軍による強制でなくても、日の丸君が代のもとで、戦争の被害者として死んでいったことは一緒でしょう。日本を守るために犠牲になることは尊いですが、残された私たちが平和国家の道を選んだのですから、戦前と同じ「日の丸君が代」を子供に教えていくことに疑問を持つのは当然だと思います。

>そもそも君が代は軍歌ではありません。「君が代=戦争(=悪)」と重ねる事自体、非常に短絡的ではないでしょうか。

たしかに君が代に罪があるわけではありません。解釈の仕方ではいい歌なのかもしれません。
しかし、太平洋戦争+日中戦争の中で、朝鮮、満州支配の中で、強いシンボルとして使われたのです。理論的に悪いものでなくても、結果として悪いものなのですから仕方がないのです。
こういう考えは非論理的ですが、感情というものも非論理的なのです。この場合は事実をそのまま受け入れるべきです。

>場合によってはルールを曲げたり新しくルールを変えることも必要であるという主張には私も同意します。しかしルールは理由があって定められたのです。「ルールを守る=ルールを重視して盲従するだけ」とは、話が飛躍し過ぎていませんか?

程度の問題はあります。70年代から00年の時期の日教組のやり方がよかったとは思えません。
しかし、にわかに政府側がナショナリズムを煽る通達、すなわち国旗国歌の強要を行ったのが、一旦うまりかけていた政府と教師の溝を広げたのも事実です。
国旗国歌の問題提起を処分をかけて実行したことは、ルールに挑戦する必要性があったと思います。そして生徒たちも、長い人生の中でなぜ先生がそんなことをしたのかの理由を分かってくれる可能性は大きいと思っています。

学校の先生だからこそ、生徒に問題意識を持ってもらいたくてするのでしょう。社会人になってからこのような問題を考える時間はかなり少ないです。
卒業式だからこそ知って欲しいこともあっていいのではないでしょうか。

>少なくとも私は、始業式・卒業式でこういう活動を平然と行う教師がいる学校に、娘・息子を通わせたくありませんね。あなたはどうですか?

私には子供がいないのですが、こういうことがあったら、なぜ先生がこういうことをしたのかを分かる範囲で子供に説明すると思います。

投稿: 根岸のねこ | 2006.09.28 22:41

お互い持論があって主張しているのですから、最終的な結論が一致しないのは当然ですが、根岸のねこさんとは冷静に議論出来て面白いです。
もう少しお付き合い下さいマセ。

私もこの件に関していろんなブログを回らせて頂きましたが、いろんな人の主張は大きく分けて2つに分類されるようです。「戦争論(日本論)」と「教育論」です。もちろん内容が内容だけに、重複する意見が最も多いのですが。

「戦争論(日本論)」に関して言えば、根岸のねこさんと私の大きな違いは「日の丸君が代=戦争」と考えるかどうかだと思います。貴方はそう思い、私はそう思っていません。

もちろん主義主張はいろいろあってしかるべきですから、それで良いのです。
ただ「日の丸君が代=戦争」という考えが根底にあっては、いくら歌詞の意味や日本の歴史を説明しても「戦時中にシンボルとして使われたからダメ」という理屈で拒絶してしまうのは残念でなりません。
戦時中にシンボルとして使われたからダメならば、第二次世界大戦参加国全ての国旗国歌も否定しなければ矛盾するのですが、他国は良いのですか?日本だけが悪ですか?

「教育論」に関して言えば、根岸のねこさんと私の大きな違いは「先生と生徒の、どちらの権利・自由を尊重すべきか」と考えているかだと思います。貴方は先生で、私は生徒です。
「ベルは生徒じゃなく学校側なんじゃない?」と思っていたかも知れませんが(笑)、前回書き込んだ通り
>私が最も問題だと思うのは~学校の行事を混乱させ、何より生徒の大切な思い出となる始業式・卒業式を踏みにじっている点です。
ココが一番主張したい部分なんですよ。伝わらなかったでしょうか(苦笑)。

>日の丸君が代のもとで、戦争の被害者として死んでいったことは一緒でしょう。
いいえ、全く違います。味方である日本軍に自殺を強要されたのか、敵(米軍)に虐殺・強姦される脅威・辱めから逃れたかったのか。私はどんな死に方でも一緒だとは考えられません。

>戦前と同じ「日の丸君が代」を子供に教えていくことに疑問を持つのは当然だと思います。
戦前と同じ歌を教えていても「天皇のために」と教えている学校は1つもありませんよ。ここが大きな違いです。「日の丸君が代=戦争」と考える人は、歴史・史実を無視してしまうのでそういう疑問をもつのでしょうが、(そういうつもりはなくても)戦前以前の歴史を全否定している人と同じ事をしてます。

>国旗国歌の問題提起を処分をかけて実行したことは、ルールに挑戦する必要性があったと思います。
>長い人生の中でなぜ先生がそんなことをしたのかの理由を分かってくれる可能性は大きいと思っています。
>卒業式だからこそ知って欲しいこともあっていいのではないでしょうか。
私はそうは思いません。前回の繰り返しになりますが、議論の場を設けて主張しルールを見直そうというならともかく、卒業式当日に先生が席を立たなかったり日の丸を引きずり降ろしたりするのは「自分の主義を押し通したいだけのワガママ」です。

「俺のやりたいようにやるんだ」「これは権利であり何をするのも自由なんだ」という行為からは、生徒の理解は得られないでしょう。
中には理解を示す生徒もいるかもしれません。しかし多くの生徒は、せっかくの始業式・卒業式を混乱させられた「苦い思い出」を背負わされるのです。

「卒業式だからこそ知って欲しい」とは、まさに先生の一方的な言い分です。そもそも生徒にだって「思想の自由」があり、それを学校で先生が主張するのは間違っています。
カトリックの学校で宗教の授業を設けるのは、生徒もそれを了解の上で入学したのだから構いませんが、公立校で先生の主義・主張を押し付けられては堪りません。

本気でルールを見直したいのなら教育委員会に対して行動すべきですし、生徒に問題意識を持ってもらいたいなら式典を混乱・妨害するのではなく、勤務時間外でやれば良いのです。私はそれこそ先生にも認められた「権利・自由」であり、疑問を呈する事までは否定しません。

最後に、根岸のねこさんが書かれている
>70年代から00年の時期の日教組のやり方がよかったとは思えません。
とは、具体的に何を指しているのでしょうか?当時は何が悪くて、今はどう改善されたのかお聞かせ下さい。

追伸:ここまで書いてしまうと「荒らし」と取られかねません。もし根岸のねこさん自身が、このコメントが「荒らし」と思われるなら、どうぞ削除して下さい。

投稿: やや右より?のベル | 2006.09.29 13:08

コメントありがとうございます。

やや右より?のベルさん こんにちは。
ベルさんの問われていることから外れてしまうかも知れませんが、私の考えを聞いてください。

太平洋戦争では日本は敗戦国になりました。負けた日本はアメリカ軍の占領下に入り、特別軍事法廷で、首謀者や軍人が裁かれました。天皇主権から国民主権の新憲法が制定されて、サンフランシスコ条約会議で、日本は独立を回復しました。

独立回復後の日本人は、高度成長による生活レベルの急速な回復もあって、戦争が起きたのは一部の軍国主義者の責任で、下々であった国民は悪くなかったのであるという自己解決をしました。
急速に力を強めていた世界的共産主義運動の影響もあり、大学闘争や安保反対という方向へエネルギーが流れ、爆発後に急速に力を失いました。

1970年代から高度成長も頭打ちになり、オイルショックやインフレに生活が脅かされるようになり、保守政権の汚職等も手伝って、労働運動は社会運動にエネルギーを向けて、今回問題になった「国旗国歌」「スト権闘争」などの政治的問題が中心となり、「日教組」が教員のストをやってみたり、君が代を歌わない指導をしたりと、教育現場や職場でも政治闘争が目立つようになりました。
一方で保守と革新、企業と組合の闘争の中から、社会保障制度の拡充や医療保険、老人問題などの高福祉が充実してきました。

2000年代になって、共産主義の完全崩壊、政治的なものに不快感を感じる人が増えてきて、旧社会党や労働組合が力を急速に失った時期に、保守勢力が急速に伸びて、「みんな中流」から「勝ち組、負け組の個人競争、能力主義」を進めました。がんばった人がたくさん報酬をもらうのが当然という考え方です。
そして、高福祉から最低保障の福祉に政策が変わって、税負担や社会保険料がこれ以上に増えないようにという方向に進んでいます。
同時に、日本の世界地位向上を目指してナショナリズムの高揚が図られて、「靖国問題」や「戦後清算」、「国旗国歌」、「自衛隊派兵」問題が再燃してきたのです。

私の中で戦後の歴史はこういう形で捉えられています。

そして、いま多数派の考え方は、日本は周辺諸国に対して責任を果たしているし、軍隊も日本の自衛と国連主導の派兵をして、国際社会の責任を果たしているので、いつまでも「靖国」「戦争責任」「教科書」「日の丸君が代」で中国韓国にがたがた言って欲しくない。
日々は仕事での競争が最優先であり、みんながルールを守り安全に暮らせるような社会が確保されることが大事である。ルールを乱す職場放棄や犯罪などをきちんと取り締まれる社会を望んでいるのです。
高福祉から最低限福祉に切り替えるなかで、低所得者にならないように勝ち組になれるようにがんばりとおすとともに、余分な社会負担をになわされたくないと思っています。

私も十数年前までは、いま主流の考え方に賛成でした。政治的関心より日々の仕事に追われていましたから、人に迷惑をかけず、ルールを守り、だからこそ学校崩壊がなぜ放置されているのだろうと思い、教師の質が問題だからだと考えていました。
給与天引きの多さにも憤慨していました。

ここ数年私の考え方は変わってきています。
戦争については、それの悲惨さを教えていた過去の教えをもっと大切にすべきだと思ってます。
政策についても、福祉をもっと大切にして貧富の差を小さくする努力をすべきだと思っています。
そういう考えの中で、「靖国問題」「君が代日の丸の問題」も、周辺諸国の意見を十分に聞いて、どっちが正しいではなく、相談しながらよりベターな方向へすり合わせることが大切だと思ってます。

私の考えとベルさんの考えがすりあわないのは、「国旗国歌」の議論以前に、過去から現在までの捉え方というか考えというか、そのあたりが違っているからだと思います。

物事の正解は本来1つのはずですが、考え方の基盤の違いで優劣の無い異なる結論がでてくるのはやむをえないことではないでしょうか。

投稿: 根岸のねこ | 2006.09.30 01:37

しつもーん。
「戦争責任」については、サンフランシスコ和平会議(でしたっけ)で、戦争被害国(というか戦勝国)に対する賠償を行っているのですよね?
これをもって、戦争責任は解消した、と私は思うのですが、違うのでしょうか?
(金銭的解消と、国民意識としての解消が違う、という観点もありかな。戦争を「正義」であるかのように発言する政治家がいた時代のしこり、みたいなものがあって、他国から「日本人は金で解決したけど、心の底では詫びてないじゃん」と思われてるのでしょうか? としたら、一億総懺悔でもすればいいのかな? それは、なんだか、現実的ではない気がします。)

台湾・韓国・中国の個人が、戦争時の被害を日本政府に訴えて、結果的に金銭補償を得ようとする考えは、私には賛同しかねるのですが。(国家に対して補償しているのだから、その補償金を実被害者に分配するのは被害国政府の問題だと思うのですよ。)

投稿: くりにゃー | 2006.09.30 03:04

結局は「連想されるイメージ」の問題なのではないか、と思います。

「日の丸の旗の下に、国民を徴兵し、戦争に向かわせ、死なせた」と考えると、日の丸→教え子を戦争に向かわせ殺す行為、と連想される。
もともと単なる国際船舶識別用の旗、でしかなかったものですが、そのあと行われたことにより、イメージが悪くなったのでしょう。
(同様に、ドイツでは公的な場所でのカギ十字の掲揚は禁止されていますし。おかげで、日本の仏教関係者がドイツで集会すると捕まってしまう、という訳のわからん状態になってます。)
(戦争被害国が日の丸をどう見ているか、は、日教組としてはあまり関係ないと思います。あくまで、教え子がどうなるか、を心配しているだけで。)
はたして、上述の「」内の連想が正しいか(というかマジョリティか)というところで揉めてるだけじゃないのか、と思います。
戦後100年で、上述の連想をするひとたちはいなくなり、「日の丸→オリンピックでの表彰台→国民の喜び」ていう連想に切り替われば、問題はなくなると思うのですが。
(だから、法制化も指令も早すぎただけなのかな、という考えもあります。)

「君が代」は、ちょっと事情が違うような。
「天皇崇拝→天皇陛下のために命を捧ぐ→戦争に行って死ぬ」という連想(というか、たぶん、教育現場での刷り込み)が戦前にあって、それと、「君が代=君の永遠なる繁栄を讃える・のぞむ」での「君」の解釈が、「君=天皇陛下」→天皇陛下の御世の繁栄を望む→天皇崇拝→以下同じ、となって、戦争を惹起する、ということではないか、と思います。
現実の教育において、「天皇陛下のために命を捧ぐ」なんてことはないので、単なる連想イメージが悪い、てだけなんだと思うのですが、解釈としてはそうなっちゃうので、みんな気持ち悪い思いをしているのではないかな。

(新国歌の作成を語る人は多いけど、新国旗の作成を語る人は少なく感じます。)
(ドイツも戦後、国歌変えましたね。Deutschland uber alles.って国歌はさすがに国際的ではない、っていうか傲慢すぎる、てことなんでしょう。)

投稿: くりにゃー | 2006.09.30 03:19

コメントありがとうございます。

くりにゃーさん こんにちは。
戦争責任はくりにゃーさんが書いている通り、何らかの対価を支払うという面では終わっているけど、気持ちの面ではまだ終わったといえないようです。永遠にざんげするのかというのは、もちろんそういう意味ではなくて、戦争をしない国ということで示していけばいいのだと思います。

国旗国歌について、イメージと経過期間の問題はその通りだと思います。
加えて、象徴的であるゆえに、それに対する態度が、国旗国歌そのものの議論より大きな問題になるのでしょうね。

投稿: 根岸のねこ | 2006.10.01 00:32

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